Antique Blue Cosmos  カンナ さまへ】 
* *「浮遊する足もと」 * *










--- 1 ---




「もう飽きた」

唐突にそんなことを言われて、言葉を頭が理解出来ずにいる。
話がある、と休日にムサシが俺の部屋に来て、玄関先でいきなりそんなことを言われた。
言われた言葉の意味が分からないまま、体温がすうっと低くなるような感覚に襲われる。
自分がちゃんと立っているのかも分からなくなる気持ち悪い浮遊感。
ただただ、とんでもなく不安になって俺は目の前のオトコに手を伸ばした。
……伸ばした手は払われた。

「オマエさ、気持ち悪いよ」

気持ち……悪い?
どこが?
何が?
分からないから教えてくれ。

「もう勘弁してくれ」

もうウンザリだと。
そう言ってがりがりと頭をかく相手。
その髪も、手も、全部俺のものだと思ってた。

「オマエだって分かってんだろーが」
「もうお遊びは終わりだ」

「むさ……」

本当に何を言われてるのか分からない。
思考が止まって、言葉の意味が理解出来ない。
耳が聞こえなくなったのかと思うくらいに。

「もう、いらねえよ。オマエ」



ムサシが何を言ってるのか分からない。
ムサシが何を捨てたがってるのか分からない。
ムサシが何を欲しがっているのか分からない。
何が悪かったのか、何が足りなかったのか分からなくて。
空回りする思考を無理矢理捕まえて、俺は必死に言葉を探す。

「て……めえは、何が欲しいんだ……?」

やっとの思いで問い返した俺の言葉にも。

「自由」

あっさりとそう答えられて、そのまま俺の顔も見ずにドアを開けて出て行かれた。
バタンと閉まるドアをぼんやり眺めて、俺は何も出来ずに突っ立っていた。
一歩も動けないまま、ムサシに言われた言葉の意味を考える。

自由。
ムサシは自由が欲しいという。
それはどうも俺を捨てることで手に入るらしい。

捨てるってどういうことだ?

廃棄物。
要らないもの。
不必要。
ああそうか。
別れるってことか。

別れる?
別れるって何で?
意味がまだよく分からなくて、俺は玄関先で突っ立ったまま一生懸命考える。
何で『別れる』なんだろう。
何で捨てられたんだろう。
何がダメだったんだろう。
何が足りなかったんだろう。

同じ問いを何度も頭の中で繰り返す。


俺がムサシにあげてきたもの。
このココロと、体、それだけ。
それで全部。
それをいらないと言われれば、もう差し出すことはできない。
だってムサシがそう望んでるから。


どうすればいいんだろう。
どうすればムサシのためになるんだろう。
いらない自分に何ができるだろう。


しばらく考えてから、俺は急いでココから居なくなったほうが良いんじゃないかと。
そんなことを思って慌しく準備を始めた。
何かに追い立てられるように、少しでも早く、早くと。

俺がムサシにしてあげられること。
ムサシが俺をいらないなら、早く居なくならなきゃ、と。
このままココにいたら、またムサシの近くに行ってしまう。
ムサシの視界に入ってしまう。
でもきっとそれが迷惑なんだ。
だって俺は要らないものだから。
俺は多分、迷惑だと分かっていてもムサシに近づいて行ってしまう。
自分で自分を止められないから。

俺はムサシのそばにいたい。
でも、ムサシは俺をいらないって。
捨てられてしまったんだから。
だからだから早く。


消えなきゃ。









ヒル魔は『世界に俺だけいればいい』みたいなことを言う。
いや、言うだけじゃなくて実際そうなんだ。
そんなに俺だけに執着してどうする。
もっと周りを見ろよ。
俺はオマエに同じものなんか返してやれない。
俺にはオマエ以外にも大切なものがありすぎる。
それを捨てろと言われたわけではないけれど。
アイツの気持ちが重荷になる。
何度も言い聞かせたけど、俺しか目に入っていなくて、俺にしか支配されないヒル魔。
そのオマエの存在がどんどんウザったくなって、この有様。

「もう、俺だけに執着すんの止めろ」

そう言っても『オマエのことが好きなだけなのに何が悪いんだ』みたいな顔をするだけで、一向に俺の言葉を理解しなかった。
そうじゃない。
そうじゃない。
そうじゃなくて。
オマエにだって大事なものは他にもたくさんあるだろう? と。
アメフトの仲間だって、これからのことだって。
そういうことに気付けよと。
何度も言い聞かせたのに。
アイツは何言ってんのか分かんねえよと笑うばっかりで。
ああ、コイツは俺と居るからおかしくなるのかと。
離れた方がいいんじゃないかと。

俺がそう思い始めるのに、時間はかからなかった。



有り体に言えば「別れ話」をしてから、俺達は一回も顔を合わせていなかった。
今までだって、会おうと努力しなければ会うことは少なかったはずで。
どれだけヒル魔が時間を作って顔を出していたのかが良く分かって、逆にヒル魔のことを考える時間が増えたような気がする。
それを少しだけ忌々しく思いながらも、アイツが人並みに傷ついていて、顔を合わせ辛いだけだと思い込んでいた。


それからしばらくして、ヒル魔が居なくなったと栗田たちが大騒ぎを始めた。
どうせいつもみたいに勝手にどっか行ってたりするだけだろ、と始めは思ったが、どうも事態は深刻らしい。
心配した栗田がヒル魔の住むマンションの管理人に無理を言って開けてもらったアイツの部屋の中には、電池が切れた携帯と、閉じたままのノートパソコン。
アイツがどこかに行くのに、それを持っていかないわけが無い。
部屋の中はいつもどおり綺麗なままだったから、強盗や事件だとかいう話にはならなかったが。
それだけに厄介だった。
どこか別の場所で事件や事故に巻き込まれてるのか。
いや、それでもアイツなら自力でどうにかしてしまうヤツだ。
それに携帯が置きっ放しだということがどうにも不自然で。
結局、本人の意思による失踪ということでカタがついて、捜索願が出されただけで終わった。


連絡も取れない。
どこに行ったか分からない。
アイツを心配して、古い仲間たちが随分と心配している。
そいつらと顔を会わせる度に、ヒル魔の話になる。
別れて、距離を置いて、俺は楽になったはずだったのに、前以上の重さでアイツの存在が圧し掛かる。
始めこそ認めるのも嫌だったが、アイツが居なくなったのは、多分俺が原因だ。
俺達のことを分かってたやつらは、ゆっくりとそのことに気付き始めている。
はっきりと責められたわけではないが、たまにそういう目で見られることが多くなった。
もちろん俺だって気にして無いわけじゃない。

『ちゃんと元気にいるのか』
『何も持たずに出て行きやがって、どっかで困ってないのか』

そんなことばかり考える。
それでも毎日は容赦なくやってきて、仕事と家の往復で疲れ果てることの繰り返しだけで一日が終わる。
終わるはずだった。


アイツが居なくなって。
俺が大事なものを無くしたんだってことに気付いたのは、随分経ってからだった。

















--- 2 ---





わかっていた。本当は、ずっと前から。
あいつは俺なんかいない方がいい。いつもつき合ってくれた。
そんなあいつの態度に俺は甘えていた。
気が付かないふりをしていた。

言われた事に衝撃を感じた。その事自体がおこがましい。





あいつは本当は優しくて、本当に優しくて、嫌だと思っても俺を受け止めてくれた。
俺のわがまま。俺の態度。偉そうで、何でもこの手につかめると思っていた俺のバカな素振り全部に。
あいつは、しんぼう強かったと思う。
あいつは、俺の事をよくわかっていたと思う。

「気持ち悪い」という言葉はまったく自分を言い表すのに相応しい。
どうしようもなく納得ができる、否定しようの無い事実。
せめて武蔵以外が言えば受け止め方も随分と違っていたのだろうが。


当ても無く場所を移動する事に、自分は何をしているんだろうとぼんやりと思う。
思っているけれど歩く事を止められない。そもそもあの部屋を出た理由は何だったろう。
そういえば、何も食べてねえナと思って。
どこかふらついてしまっていたから。

何か食べようと外に出て、店に入る直前に何も持っていない事に気が付いて。
ふいに何もかもが面倒臭くなって。

後ろに一歩踏み出せばいい。
今来た道を戻れば良い。それだけのことがとてもおっくうで、ただ両足を前に踏み出していた。

バカだなあと思う。
自分がいなくなれば武蔵は心を変えるとでも思っているのだろうか。自分は。
悪魔の指令塔とか、冷酷な計算機とか。そんな事を言われたとはとても思えない程頭は考えをまとめようとしない。
動く事を止めたそれを無理に働かせたくもなくて、ヒル魔はただただ、ひきずるように両足を動かした。



何もなかったことにして、武蔵に会わなくちゃな。

それだけが頭にあった。

何もなかった顔で、何見てるんだと軽口を叩いて、別に大した事じゃないとふるまって。
お前が何を言ってももう負担にはならないとふるまうのが、一番のパターン。
この先も武蔵のそばにいられるパターン。



けれど、それが出来なかった。

顔を見れば泣くと思った。あいつが俺以外に話しかけるのも、俺以外と道を歩くのも。
冷静にそれを眺められる自信がなかった。想像するだけで冷えた身体に熱が揺らいだ。

願いは意識と記憶と事実をゆがめはじめる。
お前が俺を拒絶出来る訳が無いだろうと詰め寄りたい。
てめえが、俺を拒めるのかと笑ってやりたい。

お前が、俺なしで生きていけるのかと、そんな言葉を突き付けたい。

本当は俺に一番依存している、俺がいなくちゃダメになる、俺を一番必要としている、それがお前の本質だと教えてやりたい。
言って聞かないのであっても分からせる方法はいくらでもある。
俺以外に何も見なくなる。何も必要としなくなる。何も欲しいと思わなくなる。

そんな武蔵にする自信が。自分にはあった。



足の進みがやけに重い。ほとんどひきずるような歩みで、いっこうに距離は縮まらない。
どこに向かっているのか。どこから逃げているのか。今、自分がどこを歩いているのかが全部どうでもよくて、それでも急がなくちゃと何かが背中を押し続ける。



結果としては良かったじゃねえか。
武蔵が、武蔵のままでいられた。
このままだったら、きっと俺は武蔵を壊していた。
気持ちが強すぎて、独占した気持ちが押さえられなくて、きっと俺は武蔵を壊した。
そうするだけの気持ちはあった。きっと俺にはそれが出来た。

そうなる前に。あいつからの言葉でこの結末。

良かったじゃねえか。
あいつが、思ったよりも賢くて。
あいつが自分で気が付いて、あいつが自分で俺を拒絶して。
きっと、気が付いたんだろう。俺が少しずつおかしくなっている事を。



なんだか足がおかしいと思って足下を眺めた。履いていたはずの靴は黒だったのに、つま先まで赤い靴。
おかしいなと思うより早く痛みが走った。
靴を履いていない。
赤いのは自分の体液の色で、いつのまに靴をなくしたんだろうと考えるより早く、ああ、こんな色もあいつに似合うよアなんて事が頭に浮かぶ。

思う事は、そればっかりだ。

足を止めたら、楽になるだろうか。こんなに痛いのは歩いているからだろうか。
あいつがいないからだろうか。
あいつに会えないからだろうか。
あいつが酷い事を言ったからだろうか。

何と言っただろう。思い出す事も出来ないぐらい、記憶はあやふやでごちゃごちゃしている。
何と言っただろう。最後に、あいつは何をしていただろう。



思い出さない方が良いんじゃないかと考えて、なんだかとてもおかしくなった。
そのまま笑ったつもりで、咽は何の音も吐き出さない。なんだろう、どうしたんだろうと考える内に、ふいに足の下から感触が消えた。
ふわりと匂う強い潮の匂い。

ああ、やっと楽になれると思って、ヒル魔は目を閉じた。
考えたく無いと思って、ふいに意識が遠のいた。


ああ、ずっと楽になりたかったんだ。
あいつを見るだけで、目が合うだけで、言葉を交わすだけで、肌が触れるだけで。
息苦しくて辛くて、どうしようもなかった。

一緒にいる時はいつも辛かった。助けて欲しかった。苦しいのだっていつもそれが咽の奥に貼り付いていた。

楽になれると思ったのに、衝撃はとても遠く、長い長い、長い時間、ヒル魔はただ武蔵を思って目を閉じた。
それはとても幸せな時間だった。




















1をカンナさんが。2をやまだが書いております。
人様が素敵な事をやってみると、やまだもそれに便乗したくなるんですね。
ほんと、人の設定に食らい付き過ぎです。
ムサヒルってのは色んな形があると思いますが
カンナさんとはこういった酷い系というか
一見酷く見える部分で心が非常にぴったりするつうか
いつもお世話になっております!

公私ともども、大変非常に親身になっていただいた上に
もんのすごーーく丁寧にお相手してくださいまして。
また、そんな丁寧な対応に何1つお返事してませんね。
すみません。やまだの最近はあんまり日記に書かないように
しておりますが、一応穏やかさからは程遠いです。
日記に書けるような穏やかなトラブルとは遠い生活です。
人間としてもう少し成長したいなあ、と思う毎日です。

話がそれたよ!ムサヒルだけでない部分で
カンナさんからの優しい対応にはいつも癒されております。
こ、これからもよろしくお願いします……。

(これ以上もまだ迷惑かけるつもりか、図々しいな!)