ヒル魔に話し掛けても大した返事も返って来ない。
武蔵は1人閑をもてあましてテレビ雑誌をぱらぱらと捲った。
休みなくヒル魔の片手がキーボードの上をぱたぱたと動き、片手は口と机の上を往復する。
バーガーへ食い付く尖った歯は、小気味良い音を立てた。
歯の間からソースが流れ、乱暴に手の甲がその上を拭う。
「それ何個目だ……?」
「知らね」
ヒル魔は案外食が太い。
知っている者は数少ないだろうが。
PCに集中するあまり、ほとんどの会話は途中で途切れる。
キーボードを叩く合間に舌打ちが聞こえるのは、ソースか何かが膝にでも落ちたんだろう。
お世辞にも綺麗とは言いがたい食べ方をするヒル魔は器用に汚れを回避する。
おかげで、武蔵の椅子には盛大なシミがいくつも出来た。
「おい……」
「わりぃな」
身の入っていないから返事にも慣れている。
武蔵はため息をついて床に散らばった紙屑を投げ付けた。
ヒル魔の身体に届く前に、それらは床に落ちて転がる。
さっきからそのくり返しばかりで、ヒル魔の足下にはいくつもの紙屑が転がっている。
その中身のほとんどは、細い身体に飲み込まれていた。
いつまでも食べ続けているヒル魔と違い、武蔵は食事の時間が極端に短い。
だから、一緒に食事を始めていれば、いつもこうして暇になる。
栗田がいれば、また違う。
不思議と、ヒル魔は人前であまり物を食べない癖があった。
ヒル魔がこれ程量を食べる人間だと。知っているヤツはどれ程いるだろう。
昼休みの屋上で、栗田と3人でいる時も人並みの食事。
それ以外は錠剤とコーラと補助食品。
それ以外を食べる姿をあまり人に見せようとしない。
給食の時とか、どうしてたんだろうな。
小学生の頃、給食や弁当を食べる時にやたらと隠そうとするやつがいた。
それに似たようなもんなんだろうか。
ヒル魔は1人でもあまり食事をとらない。
直接聞いてみた事はない。ただ、武蔵と共に買い物をした際に大量に買い込んだ食材が、しばらくすると封をあける事なく捨てられる様を何度も見ていた。購入した時には食べるつもりだったらしいから、捨てようとして買っているわけでは無いらしい。ただ、武蔵と二人きりで過ごす時にはいつも呆れる程何かを口に運んでいる。
何度か理由を訪ねてみたが、本人も特に意識はしていないという返事ばかり。
武蔵とふたりでいる時ばかり、食事の量が跳ね上がる。
ヒル魔の奇妙な生活習慣に大分驚かなくなってきた武蔵は、そんなもんかと納得してみた。
一人暮らしのヒル魔の部屋には、食料の買い置きがほとんど無い。
インスタントやレトルトの空パッケージばかりがゴミ袋に詰め込まれていて、そういう食事が普通なんだと想像ができる。
べたべたと汚れた指先を店員が大量に押し込んだ紙ナプキンに擦り付け、残り少なくなったハンバーガーに再びヒル魔がかぶりつく。
「まだ、食うのか」
「悪いか」
「普段そんなに食わねえのによ……」
「……てめえといると、腹減るんだよ」
思いがけない返事が返って、ねころんだ武蔵はふと顔を上げてみた。
あいかわらず画面へ目を向けたままのヒル魔はこちらを見ようともしない。
「なんでだ?」
「知るか」
不機嫌そうなにそむけるヒル魔へそれ以上の問いかけは危険なんだろうが。
武蔵はぽつりと呟いた言葉の意味がわからず気になった。
「腹減る事、するからか……」
ぼそりと呟いた武蔵の言葉に、一瞬の後、ヒル魔の顔が色を変えた。
片手に持っていたハンバーガーが、封に包まれたまま武蔵の顔に投げ付けられる。
見事なコントロールで武蔵の額にぶつかり、簡易な包装から飛び出した具材が床の上にばらばらと散った。
「おい、こりゃあ……」
「うるせえ!」
がたがたと周りの道具をまとめると、ヒル魔は素早く立ち上がる。
こちらを見向きもしな顔より、赤く染まった耳先が何より内情を雄弁に語っている。
「帰る!」
「まあ、待て待て待て」
「触るな!」
「ちょっと待て、待て」
床の上や服の上に散ったものを片手で片づけながら、空いた片手でヒル魔をなんとか引き止める。
「あーー、あれだ。そうだ」
掴んだ手の強さに必死ぶりが伝わったのだろうか。弁解だけは聞いてやると言いたげに見下ろしてくる視線。
「俺みたいな馬鹿に付き合うと、疲れるから腹減るんだ、だろ?」
片眉だけを上げてヒル魔はその先の言葉を待っている。
「わりい、気ぃつける、から」
武蔵はヒル魔を掴んだ腕を引く。
気をつける、から。その先の言葉は言わなくともヒル魔は十分理解できた。
くいくい、と腕を引く武蔵の情けない表情に大きくため息をついて身体の向きを変えてやる。
ほっとゆるんだような笑みを浮かべて、掴んだ腕がさらに引き寄せられた。
諦めたように腰を下ろしたヒル魔へ武蔵がそっと顔を寄せる。
武蔵の額に残ったままのピクルスをつまみ、見せつけるようにヒル魔はそれを口に含んだ。
「マスタード、垂れてんぞ」
額から鼻筋へ垂れるそれへ舌を這わせて、ヒル魔は床から紙ナプキンを拾いあげた。
渡されたそれで顔を拭く武蔵は、それでも片手を離さない。
簡単に拭った後にもう一度顔が近付いて来る。
今度は逃げないヒル魔の唇が塞がれて、抱き締めるように体重がのしかかる。
汚れていない床を選び背を横たえたヒル魔に武蔵は照れたように笑ってみせた。
ヒル魔が武蔵に甘い時、武蔵を喜びだらしなく顔を弛ませる。
今、この部屋を出て行かないヒル魔の態度は無言で武蔵を肯定したもの。
武蔵の言葉を否定しない態度が次の関係を暗に促す。
硬い床の上でヒル魔は観念したように目をつむり、力を抜いて武蔵を待つ。
まだ、武蔵は気がつかない。
気がつかなくて、良い事もある。
1人で食べる食事の味気なさ。つまらなさ。
興味の無い人間と共にする時の食事のまずさと不愉快さ。
食事時に家族が集い、意にそぐわない食事に縁のない武蔵がその事に気がつくのは。
もう少しだけ、後の事。
あとほんの少しだけ、後の事。
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