「おい、そこの糞変態」
機械が発したとは思えない程滑らかな発音。
広い部屋にいるのは武蔵ただ1人だけで、そこに声をかけるのは厳密に言えば「1人」ではない。
何度教えられても慣れる事のない画面を睨み付けながら、武蔵は教えられた通りの単純な作業をやり直す。くり返されるエラー音に武蔵はイライラと舌打ちをした。
この巨大で機密に満ちた建物の大半が、目の前の「1個」を動かすためだけに機能している。
武蔵もそのうちの一つの部品。中でももっとも不要な、もっとも知識を持たない部品だろう。
あらゆる部門のエキスパートが集まる中、武蔵に課せられた課題はあまりに特異だ。
ほとんどのメンバーが知らされていないその内容を知らない者は武蔵を蔑み。
知る者達はぶしつけな視線を投げ付けている。
どこを向いても冷ややかな感触に包まれた建物。
窓さえ無いこの建物に無理矢理武蔵が連れ込まれてから、もうどれだけの日数が経ったのだろう。
課せられた課題さえクリアすれば家には返してやると言われ。
どうやって使うのか一枚の紙には馬鹿みたいに0が並んだ契約金。
楽な仕事だろうと言われつつ、曖昧な説明のみの書類にサインしてから後悔は襲って来る。
武蔵はイライラとパネルを叩いた。
同じような作業を始めたメンバー達は、とうに作業を終了している。
ガラス越しに作業を監視すべき者も、いつのまにか姿を消した。
一見、この広い室内には1人と1個。
中央のベットに寝転ぶのにも飽きたのか、「それ」はごろごろと広い台の上を転がり始めた。
「おい。コード抜けるから大人しくしてろ」
「なーんでそんな簡単な事に時間かけてんだ。らしくもねえな……」
本来の武蔵がやるべき作業。ヒル魔と接触を持ち続け、常に交流を深める。それが強いられる武蔵の苦痛。
辺りに無駄な作業員達は誰もいない。一見、誰の目も届かない所に1人取り残されているように見えるこの状況。
実際には、どれほどの目に監視されているのだろう。
悪趣味な、気狂いじみた、普通ではない、歪んだ研究。
何の専門知識も持たない武蔵がこんな所にいる理由。
諸悪の根源は無邪気そうに笑う作業台の上の「それ」。
武蔵にとっては迷惑なばかりの存在。無機物。そのくせ、誰より武蔵に懐く存在。
名前はヒル魔。
わずかな知識を自己学習で飛躍的に増やす事を可能にした技術の塊。
莫大な金がかかっているとか、最高峰の機能を持つとか、不可能を可能にしたとか言われている。
そいつが。
何の面識も無い武蔵の名前を連呼し出した、総てはそこから始まったのだ。
武蔵がここに招かれて、もう半年程にもなるだろうか。
難しい横文字と差出人の御大層な肩書きの手紙を、最初は間違いだろうと放っておいた。
ただの大工でしかない自分が、そんな所と接点を持つような覚えは無い。
しつこく「来て欲しい」との呼び出しに行った先では理解を超えて話が進む。
「天才的な技術を持つハッカー」と決めつけられて、何の説明もないままそのまま建物内に拘束される。取り調べにも近い質問が何日も続いた後に、荒唐無稽な話が持ち上がる。
訳がわからない理不尽な扱われ方に腹も立ち、とにかく疲れていたあの時期を振り返ってみれば、それが仕組まれた状況だったと今なら分かる。施設から出すつもりの人間に、あからさまに提示された「極秘」を枕詞にするたくさんの情報。
この、ろくでもない「機械」が狂ったように武蔵の名前を連呼したせいで。
以来、軟禁のように外界との交流を一切断ち切ったモルモット的な生活が続けられているのである。
「まだ終わらねエのか、変態ハッカー」
誰のせいで、こんな目にあっていると思っているのか。
検査用に前が開く簡易の服のまま台の上を行儀悪く転がると、ヒル魔の肌がちらちらと覗く。
みせつけているんだ、といわんばかりの行動が正直に不快で武蔵は顔を背け続けた。
「…………見えてるぞ」
「見せてんだよ」
ため息が漏れそうになるのをなんとか堪えて武蔵は静かに作業をすすめた。
機械越しにこのやりとりを凝視する無数の視線を背中に感じて嫌悪感が込み上げる。
てめえなんか、さっさと壊れてしまえばいいんだ。
ヒル魔との会話は、スムーズに進む。この点だけでも確かにこいつは優秀な機械なんだろう。
それがいかに素晴らしいのかを説明されても、武蔵にとっては口喧しいだけの単なるガキだ。
尚も声をかけてくるヒル魔を無視して、武蔵は作業をくり返す。
「そんなの、あんたならあっというまだろ?」
いつのまに近付いたのか、すぐ後ろからの声に武蔵は驚いて振り向いた。
ずるずると身体からのびるたくさんのコードを器用に引きずりながらヒル魔は呆れたように画面を覗く。
武蔵を「凄腕の技術者」として疑わないヒル魔にしてみればそれは当然の感想だった。
「誰もいねえぜ、適当にごまかせよ」
「そんな訳にいくか」
「あんた、変態のくせに真面目なんだな」
余程暇なのか、単にそうしたいだけなのか、武蔵のそばで大人しく画面を見守るその姿はどこから見ても子供のもの。
この薄い布一枚。その下にある異形の身体を思い、武蔵はそむけた顔に皺を寄せた。
最先端の技術と言う言葉に綺麗に隠された、いくつもの悪趣味の集大成。
気持ち悪い、と武蔵は思う。
お前なんてさっさと壊れちまえばいい。
隠す事なく自分へ好意を表す表情、態度、仕種、言葉。
やりきれなさと、気味の悪さに武蔵はそこから顔を背けた。
背ける事しか出来なかった。
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巨大な施設の奥底で静かに学習をくり返していた一体のロボットが、ある日突然口にしたのは1人の名前。
「武蔵って、ヤツ。ここに連れて来いよ」
どこからその存在を手に入れたのか。訪ねてもヒル魔は笑うばかりで答えはしない。
ソフトの面でもハードの面でも、何重にも守られたこの施設の中の、もっとも深い最下層。
外部と完全に遮断されるその最奥で、機械が口にするのは未知の名前。
技術者達は原因を探り、武蔵なる人物を探し出した。
単なる大工。この建物を建てた時、わずかに関わった程度の人物。
ヒル魔が知る程の価値も無い。
けれど、執拗に会わせろとくり返すヒル魔の主張。
理由を訪ねれば言い淀み、思考を辿るもトレース出来ない。
システムには何かが侵入した形跡が無く、間違いだと片付けるには相手が悪い。
嘘をつけない、捏造が出来ない、声の主は単なる機械。
0から何かが発生するはずが無い。
やっきになってエラーのような発言の原因を探る内に、次第にヒル魔の態度が変わり始める。
まるで人間の子供のように、癇癪を起こしてあいつに会わせろと騒ぎ続ける。
「ソイツ、俺にプログラム落としていったぜ?」
驚き、混乱、パニックの末に施設をあげての徹底チェック。
何の痕跡も見当たらないという結果が更に混乱を広げる。
痕跡を残さない程の実力なのか。
徹底的にヒル魔が壊れたのか。
侵入され、改ざんされた痕跡はない。変化が出たのはヒル魔の言動。
外部から物理的に遮断されたその環境でそれを裏付ける証拠はない。
仕方なしに、ヒル魔に「武蔵」についての情報を聞く。
どんなヤツか。何をしたのか。接触したのか、それはいつか。
何をされた、何が起きた、何をしたいか、何が必要か。
根気良く続けて奥底に隠される情報を引き出し、今度こそ彼等は頭を抱える事となる。
「凄腕」の「ハッカー」な「武蔵」が頑丈に作られたここに「侵入」してヒル魔に植え込んだ「プログラム」の中身。
「俺が『武蔵の事好きになる』っつうやつ」
スタッフは「あるはずが無い」と言い、ヒル魔は「それだけ腕が良いって事だろ」とさらりと返す。
存在しないのか、思いこんでいるだけなのか。少なくとも彼等の目には見えない「プログラム」を、「消去」する事は不可能だった。否定すればするほどそれはヒル魔の不調として現れてくる。
武蔵に会いたいとヒル魔は連日要求した。
「ロボットが人間に恋するようにしむける凄い技術を持った変態」。
そんな「武蔵」に会いたいと騒ぐ。
壊れた、と判断する者もいた。
バランスが崩れたプログラムによる暴走だと諦める者。
0と1だけで成り立つ世界に起こり得ない現象だ、と。
廃棄すべきだという意見を押し込めたのは「愛情」をとことん理解させればどうなるのかという探求心。
原因のわからない暴走が、突き詰めて行けばどうなるのか。
誰もが到達しえない情動のデジタル化。
格好のチャンス。うってつけの材料。
そうして。
武蔵を囲い込む。
現状の奇妙さ、武蔵にさえも無自覚な「ブログラム」の存在。
それらを促進させるのが武蔵の仕事。
機械に恋愛を教え込む。
くだらない。
あまりにくだらない、武蔵の仕事。
生殖機能は備えてあるから、何をしても構わない。
悪趣味を具現したような小さな体。
何をしても許されるだろうと考えている、傲慢な施設。
その、中で。
何も知らずに懐く機械。
武蔵にしてみれば興味も持てない。
人のふりをするだけの機械。
無邪気に自分にすりよって、妙に楽しそうにふるまうそいつ。
「情動」の意味も分からないまま誇らしげに「好き」を口にする無機物の固まり。
そいつを犯す。それが仕事。
反吐が出そうな巨大な歯車。
自分にしか興味を示さなくなってしまった壊れた機械。
「それより昨日の続きしようぜ」
背中に押しつけられる浅い膨らみ。未成熟の女の体。
もう熱を持ち始めているだろう、股間の一部。男の象徴。
武蔵のものを難なく飲み込み、柔らかく溶ける小さなすぼまり。
男でもなく女でさえない。
悪趣味の固まりのような、その下腹。
気持ち良いと悦ぶ全身。
それをすべて覗かれる毎日。
カメラの向こうに見せつける行動。
ヒル魔が受け止める全てのものが数値化されて蓄積される。
「機械が人を好きになるデータ」。
お前、壊れた方が幸せじゃねえの?
何もかも。壊れれば良い。
壊れちまえば良いんだ、と。
向けられる笑顔に武蔵は思った。
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