放課後から夕食までのかなり自由になる時間。雨が続いて練習も潰れ、雨が続いて工事も止まる。梅雨というこの時期は何かと互いに閑を感じる。工務店を兼ねている武蔵の家は思うようにいかない工期に家全体がうっとおしくなり、自然とヒル魔の部屋にこもりがちなのが毎年の事だ。
「おいこれ、知ってたか?」
武蔵が手にした雑誌を広げて指差す。いつもならば読まずにすますゴシップ雑誌の巻頭の記事。中閉じやグラビアはとうに眺め飽きたのだろう。普段の武蔵ならばあまり目を通さないような内容の 大きな見出しで飾られたページ。余程武蔵が閑だという証拠でもある。
つまらない三流雑誌にすっぱ抜かれた間抜けな顔がこちらを向いたお決まりの写真。人目を引き付けるためだけにある煽りの文字がまたお決まりの一遍。少し前からネットの上で、話題になっていた二人連れだ。
「……あんま、驚かねえんだな」
「噂では聞いていたからな」
「相変わらずお前の情報は早いな」
むしろ、それだけ目だつ記事を話題にするまで武蔵が一体どこを重点的に見ていたというのか。相変わらずわかりやすいヤツだ。
武蔵の手元を覗き込み、斜に記事を流し読む。特にどうって事も無い、単なる密会のフォーカスネタだ。深夜に二人で部屋から出て来た所をぱしゃり、だろう。「張られている」と多少の自覚はあったらしく、二人の視線は滑稽な程にカメラをしっかり見据えていた。
「そんなにしてまでヤリてえもんかね」
「……まるでそうじゃねぇような言い方だな」
武蔵が性に対してストイックだった事は一度も無い。やろう、やろうの繰り返しなために相手をするヒル魔に負担がかかることもしばしばだった。
「若い内はいいんだよ」
何を思い出したのか、少し照れたように武蔵が突っぱねる。
「だいたいこいつらいくつだ?ええと……」
「37と42」
「会ったらやべぇってわかってても会いたくなったりするもんなのか?」
全く興味が無さそうに武蔵は雑誌を放り投げた。ヒル魔のベットにひっくり返り、やること無ぇーーと騒ぎ始めた。つい今武蔵が口にしたような「若いから仕方ない」という現象へなだれ込み出す予兆を感じる。
「やばくねえ相手を選びゃいいのに」
いつもなら興味もないようなゴシップネタの会話がだらだら続いている。続きながら武蔵が近づく気配を感じた。ベットの上で転がりながら武蔵はヒル魔へ手を伸ばした。床に腰掛け、ベットへと背中を預けるヒル魔は適当に返事をしながら首筋をなぞる武蔵の指を払った。PCに打ち込むデータは山積みで、構っているような閑は無かった。
「リスクあっても、そいつがいいんだろ」
「そういうもんか?」
「そういうもんだろ」
払われた武蔵の指は、懲りもせずに他へと伸びる。ワイシャツの襟刳りから、背骨のラインをなぞり始めた。
「一般人で良かったな」
「よかったな」
「若いし」
「………」
「好きな時にいつでもやれるし」
じりじりと指が、背から肩へと移動し出した。ヒル魔の首筋に息がかかる。
「幸い、ここにゃ誰もいねえし」
耳の後ろに息がかかる。
「それとも見られてた方が良いか?」
それはどこから持って来た台詞なんだ、とヒル魔は至近距離で武蔵を睨む。
「これが終わってから相手してやる」
「いつ終わるんだよ」
「明日か、明後日」
「なんだよそれ」
「後にしろ」
片手で適当に武蔵を押しやり、目だけは画面の文字を追う。武蔵は不満そうだったが、いつでも我が侭を聞いてはいられない。何より、少しイライラしていた。直前までの武蔵との会話が頭の中でちりちりと焦げる。
ヒル魔のそんな押し込めた不快に気がつきもせずに武蔵は近寄る。近寄って触る。両手を背後からシャツの中に入れ、静かにその手を奥へと沈める。
「……しつけぇな」
「今、やりてぇからな」
ヒル魔が背中をベットに押し付けたため、両手の侵入は阻まれる。武蔵は仕方なく両手を引き抜き、次に両手は首に抱きついた。首を曲げられ視界も曲がる。武蔵の首と頬と両手がヒル魔の後頭部に密着していた。
「邪魔くせえ!」
「だって俺はやりてぇんだよ」
そんな事は、知っている。
ヒル魔の肩から胸へとおりる両手とばしりと叩いて払う。武蔵の考えていることは、手に取るように分かりやすい。今まで誰と付き合っていたのか。誰と今でも続いているのか。だけど最近は誰ともやってはいない事も。
大抵の事は知っている。
何度振りほどいても伸びて来る手の甲をつねりながらヒル魔は小さくため息をついた。別に何を言った訳でもないのに武蔵は女関係を整理している。深く考えての事ではないだろうに、武蔵の性欲のはけ口は今、全てヒル魔に向けられている。ただでさえ、若く、性には興味がある時期。武蔵は輪をかけて「こういうコト」が好きらしいのに。相手を自分に絞った理由をヒル魔は楽観視しなかった。
「お前だってやりたいだろ」
その気になれない、と何度言っても武蔵は諦めると言う事を知らない。
武蔵は、多分何も知らない。
武蔵と付き合うと言う事が、ヒル魔にとってどういう意味か。
周りを脅迫する事で保っていた優位の立場が、どれほど危うくなっているのか。
ヒル魔が強く出られない相手。 数少ない例外がある事。
ヒル魔が「例外」を作った意味。
武蔵はきっと何も知らない。
抵抗する事を諦めて、ヒル魔はPCを脇に置く。2つに畳んで足で押しやるとするりと胸元を手がまさぐって来る。耳元で下手な鼻歌を歌いながらシャツのボタンを武蔵が外す。好きにしろという意味を込めて頭を背後のに倒す。武蔵の顎鬚が頬にざらつく。短い髪の毛が目尻に刺さる。
「お前だってやりたかっただろ?」
同意を求めるように武蔵が繰り返す。ヒル魔は何かを言いかけて、胸を弄られ口を噤んだ。
武蔵は無意識に主張を押し通す。
――――なあ、武蔵。俺は何でも知ってるんだぜ?
慣れた愛撫に喉をそらす。肌を下へと撫で回す武蔵の手のひらに息が揺れる。
ヒル魔の肩から武蔵の両手が伸びて、素肌を楽し気に這い回る。
「お前とやんのがすげえ楽しい」
武蔵はどこまでも無自覚に無知だ。
些細な一言、些細な仕種が、どれだけヒル魔を揺らすのか知らない。
お前が何をどう言ったって、それは今だけの錯覚なんだ。
こんな年頃にはよくある錯覚。本当と嘘の区別がつかない、学生時代の楽しい間違い。
武蔵が本当にヒル魔の事を好きなのかどうか。
この先一体どうなるのか。
分かっていながらヒル魔は武蔵と関係を続ける。
この先一体どうなるのか。
自分の中で、武蔵の存在が一体どれだけ大きくなるのか。
逃げられなくなる。
耐えられなくなる。
依存ばかりが強くなり、心が折れていつかは壊れる。
どんなに不利益が大きくても、止められないような欲望と欲求。
恋愛に溺れて等価以上の代価を支払う。少し前までバカにしていたヤツらと自分は何も代わりはしない。
馬鹿げている。本当に、心の底からそう思う。
なのに、止められない物があると知ってしまった。
それでも欲しいと思ってしまった。
『そんなにしてまでヤリてぇもんかね』
武蔵の言葉が耳に残る。
自分が選んだ選択肢の、あまりの愚かさに泣けもしない。
ヒル魔は黙って目を閉じた。
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